#5.ポタライブの『界』/そして『museum』を抜け出て - wonderland
http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=689&catid=9
昨日のまち見世イベントで話してた岸井さんてポタライブの人だったのか。
2006年の「冬のサミット」のチラシで気になってたけど見に行けなかったやつだ。
ポタライブ
http://d.hatena.ne.jp/POTALIVE/
鐘ケ淵の行きたいけど日程的に無理だな…。
#5.ポタライブの『界』/そして『museum』を抜け出て - wonderland
http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=689&catid=9
昨日のまち見世イベントで話してた岸井さんてポタライブの人だったのか。
2006年の「冬のサミット」のチラシで気になってたけど見に行けなかったやつだ。
ポタライブ
http://d.hatena.ne.jp/POTALIVE/
鐘ケ淵の行きたいけど日程的に無理だな…。
昨日行った新三郷ららぽーと並みとは言わないが、希望と活気を感じさせる施設がスカイツリー近辺にできて、別の形で「伝統」や「風情」が再帰的に再生成されていってほしいとつくづく思う
すごく簡単にまとめれば、ツリー下の付帯施設に自分が求めるのは、「身体的な祝祭やコミュニティ活動や各種カルチャー振興のできる空間性を持ったフードコート付きSC」でしょうか。
"
イベント自体はそのあとも報告とか車座談義とかあったらしいけど、集中力的に限界だったので、4回目のトークが終わった時点で退席。そういえば聞きにきてる人は、若い人が多かった。でも出演者と挨拶してる人とか、半分くらい(言い過ぎかな、でも多かった)は関係者のような感じ。あとトークを通して「下町情緒」とか「人情」みたいなバズワードが出てこなかったのは、安心した。
帰り建物をでたら暗くて方向わからなくなって、東武曳舟駅の方まで行って、さらにうろうろしてたらさっき写真をアップした仮囲いを発見(デザインは韓亜由美さん。これは第二弾で第一弾もあったみたい)。今回のまち見世とか以前に、墨東のまちはもうそれだけで面白いから、囲いもそうだし、HIGHTIとか、テイ・トウワとか、まちが人を集めてくるのか、なんかうらやましいと思ってしまった。隣の葛飾だってもっとおもしろくできるって。
墨東まち見世2009関連トーク「地域密着型アートプロジェクトの可能性」行ってきた。京成曳舟駅は高架工事をしていて、元々仮設っぽいホームだったのが本当の仮設になってた(さまぁ〜ずの三村マサカズが「京成線はホームが狭い」って言ってたけど、曳舟駅が特殊なだけだと思う)。
会場のユートリアには、2000年前後だったと思うけど、やっぱり向島地区でアートイベントみたいなのやってて、その関連だったか東向島のドキュメンタリー映画を見に来たことがあったのを思い出した。内容は忘れたけど、出演してる地元のおじさんがずっと「しがしむこうじま」って言ってたのだけ、覚えてる。
東京アートポイント計画|墨東まち見世2009 関連トーク「地域密着型アートプロジェクトの可能性」
http://www.bh-project.jp/artpoint/program/art/machimise-core03.html
実施プログラム近いし、これは行きたい。
■日時:11月23日(月・祝)14:00〜20:00(開場 13:30)
■会場:ユートリヤ(すみだ生涯学習センター)2階・マスターホール(東京都墨田区東向島2-38-7)
■入場:無料
■定員:200名(予約不要)*本トークイベントは、インターンプログラム「シッカイ屋」の一環として実施されます
「まち で/が 遊べたか ?!」14:00〜14:50
トーク:曽我高明(現代美術製作所)× 住中浩史(アーティスト)×パルコキノシタ(アーティスト)
司会:橋本誠(東京アートポイント計画 プログラムマネージャー)
「まちなかアートプロジェクトのコミュニケーション・デザイン」15:00〜15:50
トーク:森垣賢(デザイナー)× 岡部大介(東京都市大学 講師)
司会:森司(東京アートポイント計画 ディレクター)
「4人のサポーターの本音トーク」16:00〜16:50
トーク:遠山元気 × 北條元康 × 井上美智子 ×大橋加誉
司会:石田喜美(東京アートポイント計画 エデュケーションプランナー)
「社会と関わるアートとは?」17:00〜17:50
トーク:岸井大輔(劇作家)× 藤井光(アーティスト)
司会:森 司(東京アートポイント計画 ディレクター)
報告「イザ!カエルキャラバン! in 東京 vol.1 - 寺島」18:00〜18:30
報告者:野田明宏(一寺言問を防災のまちにする会)
車座談議「市井における新しいアートの役割
~墨東の芸術見世は、まちやあなたのなにかを変えるのか?」18:30〜20:00
講演:熊倉純子(東京藝術大学・准教授)
“江戸時代、深川と品川は公許の遊郭ではない。吉原つまり北廓 (きたのくるわ) だけが、幕府が土地を与え、幕府が公に建設と営業を認めた公許の遊郭である。そして、この公許という観念が幕府消滅の後にも残り、明治の吉原となった。明治政府がこれを禁じなかった以上、明治時代も吉原は公許である。
江戸時代、吉原遊郭は一種の文化サロンであった。文学者や浮世絵師が集まり、文学や浮世絵作品に遊郭と遊女を描き、それを版元が大量に印刷・販売し、遊郭は出版界と持ちつ持たれつの関係で繁栄した。遊郭は歌舞伎にも幾多ものテーマを与え、歌舞伎は遊郭をその空間に取り入れ、ここにも持ちつ持たれつの関係が出来上がった。つまり江戸文化は、吉原遊郭なしでは成り立たなかったのである。
そういう遊郭が近代に持ち越されたとき、いったいどのようになっていくのか。遊郭は確かに明治時代にも、一葉の描いたような繁栄が続いたが、その一方で、江戸時代すでに成立していた新橋や深川の「花柳界」が、遊郭に代わるものとして、吉原以上に繁栄し、政治家や文学者とのかかわりを深めてゆく。「遊女の時代」は明治になって「芸者の時代」に移行するのである。一葉の描いた吉原は、衰退の端緒についた吉原であり、それはまさに、江戸時代の終焉を意味していた。” — 田中優子「樋口一葉「いやだ!」と云ふ」
江戸情調を求めて、この「芸者の時代」、明治そして大正を生きた永井荷風は、昭和7年に初めて足を踏み入れた東向島の玉ノ井で、この江戸の残骸を発見する。巷間では魔窟などと呼ばれていた私娼窟である。
“なんといっても玉ノ井は、荷風がそれまで書いてきた新橋はもちろん、神楽坂、富士見町、白山、麻布の花柳界はおろか、吉原や州崎ともまったく質の異なる最低の遊び場所であった” — 野口冨士男「わが荷風」
この頃になると、東京の花柳界、明治遊郭にも江戸の趣を感じることは困難であったのか。そんな最低の遊び場所と呼ばれる玉ノ井へと足繁く通い詰めた末に「墨東綺譚」は生まれた。荷風は書く。 “雨のしとしと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいとちょいとの声も途絶えがちになると、家の内外に群がり鳴く蚊の声が耳立って、いかにも場末の裏町らしい侘びしさが感じられて来る。それも昭和現代の陋巷ではなく、鶴屋南北の狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である”。そしてまたこの場末の酌婦たちに “過去の世のなつかしい幻影を彷彿たらしめるミューズ” を感じていた荷風は、明らかにそこに、かの時代のわずかな名残を見ていた。この玉ノ井も昭和20年の東京大空襲で消失する。